写真で見る 「京都の会のあゆみ」
 〜 小嶋会長所蔵写真・編 〜

凛塾京都の会(当時は「京都凛塾」)は、
昭和55年に入江師範が四条グランドハイツ1階の一室を借りて始められた総合塾、
「アカデミー・イリエ」で産声をあげました。

「アカデミーイリエ」では、フランス語教室や翻訳業務、奥様と2人で学習塾もされ、
講座の中に凛道(当時は「円容拳」と名乗ってました)を組み込んでました。
当時の練功は月曜・金曜の夕方、土曜の午後、日曜の午前の週4回でした。 

後に僕が入会して間もなくの頃に昇段審査があり、初段が2人誕生しました。
つまり、このお2人が京都の黒帯第1号になります。
廣川塾長はじめ、植山七段、薮内五段、西口五段(段位はいずれも当時)の錚々たる先生方が来られ、審査後に各先生の演武がありました。
その時に西口先生(現・凛道主席師範)が演武された悟空拳の形はシビレました。
悟空拳は回し蹴り・後ろ回し蹴り・横蹴りなどがあり、空手というより中国拳法のようでカッコよく、カンフーおたく少年だった僕は強い衝撃を受けたのでした(笑)。



入会当初です。初々しいなぁ。

自営業者、会社員、OL、パン職人、学生・・・。
四条通りに面していたので、当時は合わせて十数人の会員がいて活気がありました。
僕の凛塾のイメージはこの当時であり、今でも懐かしく感じています。
もし、当時の会員だった方々が当HPをご覧になっていたら、ぜひ顔を出していただきたいと思う今日この頃です。




アカデミー・イリエで。懐かしい面々




入会当初の合宿での集合写真



当時の合宿では、行者まいりをやってました。道中の様子。




京都凛塾生が、塾長・廣川先生宅で。

  
廣川先生を訪ねる前に、京都凛塾生が奈良を散策。あえてレトロなモノクロ写真で☆


凛道の師、入江先生(右)と


廣川先生(左から二人目)と京都凛塾生


植山先生(当時・凛道師範)と


植山先生の形は素晴らしかったです


関西日仏学館で大阪凛塾と合同練習

現・大阪練功会の多久島代表、
現・東京練功会の藤枝(当時・鳥居)代表の顔もあります。


 ・・・平成に入り、僕は思うところがあり永く凛塾を出て他派で空手を稽古し、
フルコンタクトカラテの大会にも何度か出場しました。
しかし、その間も都合がつけば凛塾の合宿には参加していました。
この頃になると京都凛塾は入江門下生よりも、嵯峨芸大の物部門下生が京都の中心的存在になってきました。

後に僕は凛塾に復帰、西京極練功会を始めました。
京都の会の総本部・小松原練功場の完成、物部道場(葆光塾)の設立を経て現在に至ります。
(小嶋・記)


平成に入り、合宿の顔ぶれも変わってきた


花園大学真人館での練功


恒例の愛宕山登山


嵯峨芸大の日曜練功


廣川先生亡き後も、塾生が合宿で集結


ビアホールで入江先生と


京都ふれあい会館で公開演武会を実施


公開演武会後の合宿で。活気があった。


入江先生還暦祝いを兼ねて観桜食事会


小松原での練功風景




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